自然の摂理

今までの人生であの手この手を使って、強引に事を進めたことが何度かあった。若い頃は特に我を通そうと、聞く耳を持たないことも多かった。だがその結果、長続きしなかったり、すぐにまた問題が起こったり、結局はうまくいかないことが多かった。

自然の摂理という言葉と出会い、妙に納得したし、心が楽になった。川の水が上流から下流に流れるように、自然の摂理に従ったことは無理をしなくても長続きする。下流から上流に水を流すことはできなくはないが、かなりの労力を必要とする。一時的なら凌げるが、それが常時になれば負荷がかかる。自然の摂理こそが自分が無理せず、導かれるままに自然に訪れる姿なのだと思う。

もちろんなりたき未来に向けて努力はする。過去は変えられないし未来はわからない。自分の考えでどうこうできるのは今しかないのだ。今の頑張りがわからない未来を、より良い未来にしてくれていると信じて、日々を過ごしている。あとは自然の摂理に身を任せ、なすがまま、行き着く先が自分の運命だと考えれば、今を生きるプレッシャーも少しは軽くなるのではないだろうか。

会社の中の役職、家庭の中の立ち位置、親の介護、友達との距離感。どれもフィールドが違うだけで人間関係なのだが、深く考えても決して正解がわからないことは、ある意味、無責任であるかもしれないが、自然の摂理を受け入れることによって上手くいく事も多い。時の流れの速さに焦りはあるが、仕方あるまい。