諸行無常

僕は無宗教だ。日本人なので、家は確か浄土宗だが、確か、が付くくらいあまり興味がない。ところが宗教問わず宗教的な建造物には興味がある。寺院、仏閣、教会など、ヒンズー教キリスト教イスラム教、仏教。どの宗教も共通するものがある。

「無常」とは全てのものごとは移り変わるという事。今がとても良くて今のままずっといたくても、時が経てば常に変化する。変化しなければ衰退していくのだから変化は必要なのだが、だからこそ無常なのである。人の心もまた然り、自分自身だって昨日の自分と今日の自分は違うのだ。儚く虚しく寂しくもあるのだが、この変化は受け入れるしか術はない。これを拒むには死しかないのである。

今、失いたくないものがある。これは守る術がない。この先も自分自身と縁があるのならば、また巡り合ったり、形は変われどこの先も近いところで存在するだろう。もし、縁がなければそこまでの話。この先、今以上に素敵なことがやってくるかもしれないし、しばらくは厳しい生活がやってくるのかもしれない。

いずれにしても時は経つ。僕もあと10年ちょっとで定年だし、その頃には子供達も成人する。両親はさすがに高齢なので亡くなっているだろう。2060年まで生きたいと思っているので残りの人生は38年。長いようで短いのだ。変化することを恐れてしがみついているくらいなら、どんどん変化にチャレンジしていかないといけないのだ。この世は諸行無常なのだから。