あっという間の1週間

毎週末、予定がない限り実家に帰っているのだが、1週間がとにかく早い。月火らへんは体力セーブと自ら言い聞かせ、あまり遅くならないように仕事を切り上げて、水曜日はあと半分と言い聞かせ、木金を気合いで乗り切ると、週末はまた実家に向かう。このルーティンで月日はどんどん過ぎていく。

ときめきが少なくなったとか、脳の処理スピードが遅くなったとか、時が過ぎるのを早く感じさせる理由がいくつか言われているが、実はやらなければならない課題や問題がたくさんあって、先延ばしにしてしまっている自分がいるのも認識している。判断しなければいけないタイミングまでズルズルと時ばかりすぎているのも理解している。

残りの人生はあと何年あるだろう。健康寿命になると更に短くなる。この先、何があるかわからないが、平均値を取っても健康寿命はあと20年から25年くらいだろう。何も手を打たなければ、定年退職をした後も少し働くとして、あっという間に15年が過ぎる。そうすると第2の人生を楽しめる時間は5年から10年しかなくなってしまう。それで人生終了である。

そう考えるとやはり早め早めに手を打つ必要がある。仮に5年しかなくても早めに手を打ち、しっかり5年、やりたいことを楽しみたい。この人生が満足できるものだったのか物足りなかったのかは死ぬ間際までわからないが、今のままならきっと満足はできないだろう。まだまだ楽しみたいし、笑い続けたいと思っている。

換気扇交換

今の住まいは何気に気に入っている。引っ越した当初は家賃も間取りも3分の2になり、コンパクトになった分、目を瞑らないといけない部分も覚悟の上で入居したのだが、夏で丸2年、不自由を楽しみながら生活できている。

90年代初期のデザイナーズマンションということで狭いながらもオートロックだし、駅近だし、5世帯しか入らないのも気に入っている。しかし出窓がひとつ壊れている。強い雨が降ると出窓付近が雨漏りする。建物自体が少し歪んでいるのかベランダの網戸が動かない。ユニットバスもできることならセパレートがよかった。キッチンもクローゼットが隣にあるので油を使った料理をするには抵抗がある。せいぜいお湯を沸かすくらいだろうか。まあ、いい点悪い点あるのだが、一人で住むには十分だと思っている。

そんな中、年末にバスルームの換気扇がスイッチを入れても動かなくなった。年明け早々に不動産屋に連絡しようと思ったら、年始にまた動き出した。その繰り返しがしばらく続いたのだが、今月中旬についに修理をお願いすることにした。入居時に洗濯機置き場の水道蛇口を交換、その後、台所の水道パッキンの交換。今日は換気扇交換という具合だ。

交換後、数年か数十年分の蓄積された埃でバスルームは汚れたが、掃除をして元通り。肝心の換気扇は動いてないんじゃないかと思うくらい静かだ。今までがかなりの騒音だったので静か過ぎてびっくりした。まだまだ住み続けたいと思う。

大掃除

普段の週末は実家に帰るので、平日休みの日や祝日に大掃除をするようマイルールを決めている。非常に小さくコンパクトな部屋な上、築30年以上経っているのでかなり劣化しているマンションだが、だからこそ丁寧に綺麗に使いたい。何気に気に入っているので尚更、清潔感ある環境をキープしたいので、やると決めた日は2時間くらい集中して行うことにしている。

今月は来週の水曜日が祝日なので大掃除を予定していたが、急遽、娘2人が東京に来ることになり、案内をすることになった。よって今日は緊急大掃除ということで朝から取り掛かり、少し遅くなったが今、実家に向かっている。

大掃除と普段の掃除の違いは、掃除機をかける。窓を全て開けて換気する。トイレ掃除と玄関掃除。バスルームとキッチンの排水溝にパイプクリーナーを用いる。こんな感じだろうか。あとは洗濯機を回しながら、音楽も流しながら楽しく掃除する。今日はプラスで来週に着る予定のスーツをまとめて3着、洗濯した。クリーニングに出さなくても家で洗えるようになったスーツは非常に便利だ。何となく脱水をシワなしコースにしたら、干したら水がポタポタ落ちてきて失敗。急遽、更に普通に脱水し直したので時間をロスした。

明日は大量のワイシャツを洗濯する。平日の仕事と同じくらい週末の家事も大変だ。一人暮らしなので気楽ではあるが堕落した生活をするのは自分自身が嫌なので、心地良い空間になるよう意識している。

停滞期

自分で自分をコントロールするのは難しい。職場では拝命した役割を演じているが、普段の自分とは違う。仕事が立て込んだり上手くいかなかったり、はたまたプライベートで心配なことがあったりカラダが不調だと、バイオリズムが低下するので弱い自分が登場する。

打開策はない。だがいつかは必ず抜け出せる。数々の困難な状態に陥ったことはあったが、今、何とか生きている。生きているということが多分何とかなるだろうという根拠のない自信に繋がっている。生きることを諦めなければ何とかなるものだ。

今の仕事も経験不足、知識不足で全く貢献できていない。単身赴任なので少ない生活費を稼ぐだけで、家庭でも全く役に立っていない。両親の助けになればと思い週末は実家に帰っているが、親を助けるのは当たり前の行為だ。自分自身のカラダもヘルニアの手術をしたりして、かなりガタが出始めた。この先の人生を考えても楽しいことより苦しいこと、辛いことの方が断然多いだろう。明るい老後が待っているとは到底思えない。

それでも僕は生きている。多くは望まず、ただ小さな楽しみに幸せを感じ、細々と生きていければそれでいいと思う。諦めてはいないが期待もしていない。期待がなければ怒りも少ないだろう。ありきたりだが平穏であることに感謝し、四季の訪れに感謝し、今日を楽しく生きること。この繰り返しでこの先、年を重ねていきたい。いつ訪れるかわからないこの世での僕の最後の日まで。

不登校

先週末、高校生の息子が不登校だということを知った。登校日数がギリギリでもう留年瀬戸際だと。単身赴任で連絡をもらわないと情報は入ってこないのだが、登校日数がギリギリということは60日くらい休んでるわけであって、せめてもう少し早く教えてほしかった。カラダは元気で食欲もあるようなので、精神的な病気ではないと思うが、思春期外来でいい病院を探しつつ、出来ることなら留年せずに進級できるよう、何とか頑張ってほしい。

原因は家庭環境だと思う。僕があまり帰っていないから、そして帰っても1泊で早い時間に東京に戻ってしまうからだ。親子の会話らしい会話もないが、子供は勝手に育つものだと思っていた。

明日、学年末の期末試験の追試があるらしい。本人は行くと言っているが、今までも行くと言って行けない日も多々あったので、はたして何とか行ってくれるのか、明日にならないとわからない。今なら何としてでも進級すべきだと思うし、留年や退学、他の学校に通うのは大変だとわかる。だが本人にしてみればそれを上回るくらいの何かがあって、学校に行かないという選択肢を取っているのであろう。その時その時は確かに真剣に考えているので、親の思うとおりにはならないのだが、高校は普通に進級、卒業してほしいと願っている。

どんな結末を迎えるのか、いずれにしても頻度を上げて家に帰ることが必要なのかなと改めて思った。単身赴任は家庭にはよくない環境なんだと思う。

走る

生まれて歩けるようになり、いつの間にか走ることを覚えたら、あとは死ぬまで忘れないものだと思っていたが、ヘルニアが再発した10月末から4ヶ月近く走っていない。膝から下、足首から上の神経が麻痺していて階段の上り下りに難があり、スクワットも走ることもできなくなった。膝に力が入らす、カクッとなるのだ。

そんな症状も少しずつ回復の気配はある。本当に少しずつではあるのだが、まずは痛みがひいて痺れだけになった。太ももに筋肉がついて階段の上り下りも違和感を感じながらもできるようになった。スクワットも少しならできるようになった。できないのは片足でのスクワットと走ることだ。まずは片足スクワットが先だろうか。勇気を持って走ってみれば走れるのだろうか。痺れがあるのでまだ難しいのだろうか。お医者さんは徐々にと言うが、次の検診後にはクスリもなくなりそうだし、心配だ。

高齢者になれば走らなくなるし体感も悪くなる。足腰も弱り膝も痛くなるだろう。それが少しだけ、25年くらい早くきたと思えば割り切れるのかもしれないが、予期せぬ25年の前倒しは早すぎる。急な発症だったので全く心構えができていなかった。

年始に今年中に走れるようになることを目標のひとつにした。まだあと10ヶ月以上ある。術後検診は2年後まで続くので、諦めずに信じて日々の生活を普通にしながら筋力が付いてくれば、きっと走れるようになるだろう。諦めたらそこまでなのだ。

母の誕生日

明日、81歳の誕生日を迎える。若くして透析になり、長くは生きられないと本人も僕も思っていたが、自己管理が素晴らしく、平均寿命を目指して頑張っている。そんな母も昨年末から体のあちこちにボロが出始め、いよいよ覚悟をしておかないといけないと改めて思っている。

まずは胃潰瘍、その後、突発性難聴。突然、血圧が高い日や脈拍が早い日がある。毎日朝晩、血圧を計っているから気付けているのだが、どの症状を調べても原因の心当たりがない。ストレスが原因なのかもしれないので、ゆっくりと安静にしてほしいのだが、とにかく自慢の母なので働きまくりなのだ。

父はもっと高齢なので、こちらも心配だ。右目が見えず、痴呆も出てきた。仕事人間だったので、唯一の楽しみだったゴルフをやめてからはこれといった趣味もなく、典型的なボケやすいタイプだ。年々頑固になり、何を言ってもすぐに怒る。こんな父が心配で母は体調を壊しているのではないかと思うのだが、これも高齢者夫婦のよくあるパターンなのかもしれない。

両親に対して僕が今、出来ることはなんだろう。本当はしっかり終活をしてほしいし、やり残したことがないように色々とサポートしたいのだが、きっと何も言わずにくる時が来るだろう。その後の生活がイメージできないのだが、バランスが崩れるのは確実だ。どんな形になっても両親には感謝しかないので、しっかりと寄り添っていきたいと思う。まずは今日は母を祝おう。