気の持ちよう

以前、いいことと悪いことは誰にでも平等に同じ数だけやってくる、と書いたことがあったが、また似たような話。そもそもいいことと悪いこととは何が基準なんだろうか。

例えば春が来た。暖かくなってきて花が咲いて新芽が出て、街を行き交う人々も何処となく楽しそう。これはいいことなのだろうか。悪いことなのだろうか。

いいことと悪いことは、その事柄にプラスして自分自身の感情が加わることによって分けられる。桜が咲いて春が来て、いいことと思う人がいれば、花粉症には辛い季節なので悪いことと思う人もいる。年度末で仕事がピークになるからいいと思う人もいれば悪いと思う人もいる。むしろ感情が占める割合の方が大きい。

さらに言うと日によって、時間によっていいと思う時もあれば悪いと思う時もある。人はなんてわかりにくいのだろう。要は気持ち次第。全ては気の持ちようなのである。

ということはより幸せに生きようと思ったら、他人を尊重し、周りの全てのこと、ものに感謝し、明るく元気に、なるべく笑顔で過ごすことを意識すれば、いいことがやってくる確率が上がるのではないだろうか。

全ては日によって気まぐれな自分自身の感情によって、仮に同じことが起こっても、いいことか悪いことかを勝手に決めつける自分自身の問題。原因自分論なのである。

生きていれば嫌なこと、悪いことは必ずある。それはいいことも必ずあることを意味している。生きるとはそういうものだ。