術後3ヶ月経過

午前中に術後検診に行ってきた。先月上旬に行って以来、1ヶ月半ぶりだ。前回の受診時は神経障害性疼痛が酷く、まともに睡眠がとれない状態だったのだが、それからしばらくして痛みが軽くなっていった。術後50日くらいのタイミングだろうか。発症してから1週間くらいで手術したので、60日間、痛みと戦ったことになる。

ところが神経が1本、戻らないのだ、あくまで感覚だが、膝をまっすぐに伸ばせなく、伸ばそうとすると太ももや脛が張った感じでパンパンになるのだ。困るのは階段の上り下りで油断すると膝がカクンと崩れる。走ることもできず、速足も難しい。これがいつになったら治るのか、もしくはこのままなのか、かなり筋肉が落ちたせいなのか。時間をかけてゆっくり、と先生は言うのだが心配な状態だ。

日常生活はリハビリだ。歩いている時は前の人の歩き方を見てマネをする。痛くない右足に頼った歩き方をしていたので、普通の歩き方に戻せるよう努めている。最近は軽くならスクワットもできるようになってきた。痺れは残っているものの痛みはほとんどないので、何とか回復できるよう信じている。

次回の術後検診は1ヶ月後の来月下旬。メチコバールというビタミン12の薬も今回までらしい。あまり長く飲み続けても尿と一緒に出るだけで効果がないとのこと。検診は2年後まで続くのだが、いよいよ自力で回復させるしかなさそうだ。歩けなかった時に比べればかなり進歩したとは思う。

 

プレゼント

今週、仕事上の師匠とプライベートの師匠に誕生日プレゼントを渡した。5年前までならプレゼントなどというものは、ほぼ誰にも渡したことがなかったのだが、ここ数年は誕生日プレゼントだけは渡している。

理由はいくつかある。まずはもちろん相手に喜んでもらえたら自分も嬉しいからだ。次に何をプレゼントされたら嬉しいか考え、知らないジャンルならそれを調べることで自分の知識が増えるから。そしてその行為は更に周りの人も巻き込んで素敵な環境になるからだ。単純にちょっとしたサプライズを考えるのも嫌いではない。それほど計画的に考えて渡すわけではないのだが、根本は自分のためにお金を使うより周りの人にお金を使うことが好きなのかもしれない。

逆にプレゼントをもらうことは苦手だ。照れくさいし申し訳ないし恐縮する。誰とも深く関わらず一人でいることが多いので、そういった人間関係に慣れてないからだと思う。プレゼントを渡すようになっただけでも人としてかなり成長しているのではないだろうか。この先の老後にむけて、どんな生活が待っているのかわからないが周りの人に喜んでもらえるようなダンディでスマートな老人になりたいものだ。

この先、生活する上で今くらいの生活レベルが維持できるくらいのお金を貯めないといけない。いったいいくらあれば安心なのか、年金はいくらもらえるのか。プレゼントを渡し続けるためにも、先々をしっかり考えていかなければいけない。

 

生きる理由

元日に大変な地震があったせいか今年の正月は静かに過ぎ去った。52週間という1年がまた始まった。平日は職場とマンションの往復、週末は実家に帰るというルーティンであっという間に月日が過ぎていく。今年はどんな出来事が起きるのか起きないのか、いずれにしても確実に老いていくのだ。

自身を振り返り、多分、僕は一人暮らししかできない人だと思う。寂しくて人恋しがるくせに最終的には一人でいる楽な暮らしを望む。生活は一人だが、近くに同じように一人で暮らす友達のような恋人のような安心できる人がいて、多くの時間を一緒に過ごせるような環境が最高なんだと思う。そんな環境はなかなかないのだが、周期的に人との関係を億劫に思い、全てを捨ててゼロになりたいという気持ちがココロの奥底にいるのは事実なのだ。そんな自分を時には嫌い、時にはうまく付き合いながら何とか生きてきたし、これからも生きていかないといけないんだと思う。

何のために生きているのか、何のために生きていくのか。理由はずっとわからないんだと思う。子供達は立派に育っているし、周りに迷惑をかけずにしっかり生活できればそれでいい。あとは自分自身が定年までは社会で労働力として働き、その先に命尽きるまでに生きる理由を追い求めればいいのではないだろうか。

些細なことでいいので、楽しみを見つけ、毎日笑っていられるような余生を過ごしたい。そして眠るように誰にも世話にならずに逝きたい。

始動

正月休みも終わり、一昨日から仕事も始まった。煩わしい社内での年始の挨拶も終わり、来週からはようやく通常に戻るであろう。仕事以外では先程、3ヶ月ごとに行っている歯のメンテナンスも無事に終わり、調子の悪いところは少し喉が痛いのと、術後、回復途上の左脚くらいだろうか。

その左脚の調子もかなり良化した。ヘルニア発症時には痛みでかなりの絶望感があったため、すぐに手術を希望したが、術後も痛み、痺れが残り、眠れない日が続いた。それも手術後、1ヶ月くらいで何となく良くなり始め、1ヶ月半の頃は痺れのみになり、それまで眠れなかった分、こんこんと眠った。2ヶ月経った今は階段の上り下りに難があるだけで、あとは落ちた筋力をつければ何とかなりそうなところまできた。

いつもお参りさせてもらっている延命地蔵にも2日、3日に連日、お参りしたし、僕の血液型、星座での今年の運勢はかなり上位だったので、2024年はいよいよ飛躍できるのかもしれない。今年の目標は小さなことからコツコツと、ということで、まずは普通に走れるように左脚を回復させること。次に昨年クリアできなかった1日平均、8,000歩、歩くこと。そして仕事でももうワンランク昇格すること。以上の3つを目標に1年間、頑張っていきたい。

今年はどんな年になるのだろうか。誰にもわからないものの、ただ何もせず待つのではなく、自ら努力し、結果的に良い年と思える年末を迎えられればと思う。

2023年も年末

2023年も今日明日で終わる。テレビは特番だらけであまり好きではないのだが、ゆっくり休むという意味ではいい休養になると思う。カレンダーの並びの関係で今日から3泊、実家に泊まる予定だ。

今年を振り返ると良いことも悪いこともあった一年だった。職場の異動に始まり、子供達の受験は希望校に合格できたのだが、父のアルツハイマーも少しずつ進行しているように見える。尊敬する師匠のお子さんは浪人してしまい、師匠の体調もすぐれないことが多かった。コロナで業績不振だった会社は何とか黒字に回復したが、10月末には椎間板ヘルニアを発症、手術、入院もしたが術後の脚の具合が思わしくない。更に母も右耳が突発性難聴になってしまった。小さなことだが、今朝、ユニットバスの換気扇も壊れた。今年を総評すると自分自身には厳しく、自分の周りのことは良いことが多かったように思う。結果、イーブンである。

来年はどんな年になるだろう。まずは脚を治したいし、母の耳も治ってほしい。師匠のお子さんも無事に合格してほしいし、仕事も少しいいことがあれば嬉しい。悪いこともきっとあるが、何とか乗り越えていきたい。今年よりもいい年になることを願う。

長く単身赴任をしているが故の家族の問題や、高齢な両親の問題も刻々とタイムリミットが近づいているのだが、逃げずに少しずつこなしていける年にしたい。自身に残された余命も後半戦に入っていることは間違いないのだから。

術後1ヶ月半経過

月曜日に術後検診に行ってきた。MRIを撮って問診したのだが、痛み止めを増やして様子を見ることになった。また1月末まで経過観察である。今週は倍増された痛み止めを飲んで耐え凌いでいるのだが、おかげさまで痛みは耐えられるくらいになった。副作用なのかやたらに眠い。昼休みはひたすら寝ている。今日明日も寝れるだけ寝ようと思う。痛み始めてから先週までは痛みで睡眠が取れなかったので、その分、カラダが急に睡眠を欲しているのかも知れない。

体重はなかなか戻らない。最も痩せた時から1.5キロは戻したが、理想体重まであと1キロ太りたい。週末に実家で白米を食べているのだが思ったより太らないものだ。正月は必ず太るのでそこで戻せればと思っている。

あとは膝カックンが何とか治ればいいのだが、こちらは時間が掛かりそうだ。ブロック注射で一瞬で力が入らなくなったので、朝起きたら急に元に戻ってた、みたいな淡い期待もあるのだが、現実はリハビリをしながら筋力を戻す必要がありそうだ。それでも階段の上り下りは必死に集中してやれば何とかなるところまでは復活した。毎日の生活そのものがリハビリだ。

年内の目標なのか、来年の目標になるのかはわからないが、今の目標は走れるようになることと左足で片足スクワットができるようになることだ。まずは健康なカラダに戻さないと生活の質が落ちる。そして痛み止めを飲まなくても良くなったら献血に行きたいと思っている。

術後1ヶ月経過

先月1日に手術をしてから1ヶ月経過した。手術後はすぐに元の状態に戻ると勝手に思い込んでいたので、歩けるようにはなったものの変わらぬ痛み、脛の運動麻痺と感覚過敏、高血圧、痛みで睡眠が取れない等、精神的にかなり厳しい。ストレスを感じたことがなく、どのようなことがストレスと呼ぶのかがわからないのだが、このようなことがストレスというものなのかもしれない。

回復しているのか変わらないのか、僅かずつなので全くわからない。1ヶ月も痛みがあると、痛みに慣れてきたということもあり、今がどのような回復途上の段階かが何とも判断できないのだ。それでも感覚過敏が耐えられず、ほとんど睡眠が取れなかったのが今では何とか3時間くらいは眠れるようになってきたし、階段の上り下りも意識するようになったので転倒することはなくなった。歩くことも意識をしないと危険なので、毎日、精神が疲れるのと睡眠不足のせいで日中に眠くなるのが困りごとだ。

10日後に術後の検診がある。この10日間で運動麻痺が治ってくれたら嬉しいのだが、自身の治癒力を信じるしかない。ただ何となくではあるが良化の兆しは感じている。あるタイミングで突然、バチっと神経が繋がってほしいと願っている。

当面の目標はまともに歩けるようになることと走れるようになることだ。多くの人にとっては当たり前のことなのかもしれないが、今の僕にとっては生まれて歩けるようになって以来、最も歩けないのだ。