幸せは平等か

僕は人間誰しもいい事と悪い事は同じ数だけやってくると思うようにしている。いい事が続いても気を引き締め、悪い事が続いてもその後やってくるであろういい事を楽しみに待ちながら、耐えるようにしている。

では、幸せは果たして平等だろうか。そもそも幸せという気持ちは、どんな時に湧き上がってくるのだろう。僕はその瞬間の感謝の気持ちの塊が幸せの種だと思っている。所得が高い人が必ずしも幸せでないし、所得が低い人が必ずしも不幸せではないように、ようは感謝の気の持ちようで誰しもいつでも幸せを感じることができるんだと思う。

しかし人間、少なからず欲があり、他人よりも少しでもいい思いをしたいと思う。他人を羨ましく感じる。また、知らなければ幸せなのに、色々と知りたがり、結果、知りたくないことも知ってしまうと、もはや知らなかった頃には戻ることができない。そういった願望が自身は不幸せだと思う根源である。

朝、起きて今日という日を迎えることができたことに感謝。太陽光の暖かさを感じることができるくらいの晴天に感謝。道端の草木の花が咲いているのを気付けたことに感謝。電車に乗ったらちょうど席が空いて座れたことに感謝。感謝の気持ちは考え方次第で無限に感じることができる。

僕は幸せは誰にでも平等にやってくると思う。ただやってきている幸せを幸せと感じるか感じないかは人それぞれ。であれば、少しでも多くの幸せを感じながら生きる方が人生は楽しいのではないだろうか。