冬の気配

毎度恒例の上野恩賜公園に来ている。土曜日なので噴水前はかなりの賑わいだ。コロナ感染者が減少しているので、公園内の大道芸も人だかりができ、行き交う人がマスクをしているのだけがコロナ前との違いで、他は何ら変わらず平穏な週末といった感じだ。風が吹くたびに広葉樹の葉が落ち、鮮やかな紅葉もあと半月もすれば、すっかり冬の景色に変わるだろう。今年も終わる。

また何もできないまま、ただただ月日だけを過ごしてしまった。短い人生だというのに、このままでは何もできずに終わってしまう。変えられない過去、誰にもわからない不安な未来。過去も未来も考えるだけ時間の無駄である。自分の考えで変えることができるのは今のみなのだ。その今を、何もできずに時間だけが過ぎるのが焦りを覚えてしまう。とはいえ何がやりたいのかは答えがみえない。

肌寒い季節は気持ちもネガティヴになるのだろうか。冬は嫌いではないのだが、寂しく感じる季節ではある。やはり生きている限り、辛いことの連続なのだろうか。ちょっとだけの楽しみと、大量の哀しみ。これが人生なのだろうか。

来月は約2年ぶりに自宅に帰る予定だ。成長した子供達を見るのは楽しみだが正直、怖い。コロナが原因で人生が大きく変わったことは否めない。とはいえ生きている限り、少しずつではあるが確実に成長していることも事実ではある。昔であれば寿命であった人生50年。僕ももうじきその年齢になる。未だに未熟者だが。